体験記

【いなフリ1万字チャレンジ】新聞奨学生の実体験記

この記事は田舎フリーランス養成講座 ライティング1万字チャレンジで書いたものです
駆け足での記載だったので、つたない文章のところもあるかと思いますが、これもまたいい記録なので明らかな誤字脱字以外は直さず乗っけます。

約8000文字です。

それではどうぞご覧ください。
長いので、飽きたらブラウザを遠慮なく閉じてください。

上京編

私はずっとゲームが好きで、だけど学校は嫌で中学高校は早く終わってほしい、早くゲーム制作の勉強を専門学校でしたいとずっと思っていた。上京するための準備としてまず免許、そして自分用パソコンを手に入れようと思った。

高校3年の夏は免許を取りに自動車教習所に通った。嫌いな教官との教習はとても苦しかったのを今でもおぼえている。その教官の顔はいまだに覚えている。むかつく顔だ。名前は憶えていない。覚える価値なんかないと思っていたのだろう。教習自体は楽しかった。特に仮免許を取ってから、自分の運転する車で隣町まで初めて行けたときは感動した。感動したのはそれだけではない。私の通った教習所は近くに山があり、山岳研修というのがあった。私は放課後に教習所に行くことが多かったので、山岳教習の日は教習開始が19時をまわっていた。暗い山道を登るというのはかなり恐ろしかった。道は1車線しかなく、坂でかつ真っ暗。対向車が来たらどうするんだ、どうすればいいんだと思っていた気がする。登り切ったときの達成感はすごかった。登った先には毎年初詣に行っている清澄寺という地元ではかなり大きく有名なお寺があり、いつもは親の車で行っていた。それが自分の車でそこまで行けたというのが、自立したなと感じもした。

書いてみると意外といい思い出がある、思い出補正もあるのだろうけど、なかなか頑張っていたし自分を褒めてあげたいところだ。だがしかし私は運転は下手だ。なぜなら再教習が5回くらいあったからだ。再教習というのは実技教習で何度かミスをすると再度その教習を受ける制度なのだが、大体のひとは一度も再教習にならずに免許取得まで行けるらしい。ここで運転が下手だと知れたのは良い収穫だった。新聞配達をバイクでやるという選択しは除去されたからだ。教習所に通わず自分の適正を図り間違えていたらバイクで配達し途中で事故にあっていたかもしれない。あっていたかもしれないじゃないな、たぶん事故ってる気がする。

パソコンを手に入れるために、デニーズというファミリーレストランでアルバイトを始めた。高校3年の1年間勤めていた。洗い場のバイトということだったのだが、いつの間にかキッチンになっていた。キッチンはかなりおもしろくハマっていた。賄いは毎回好きなものを自分で作る感じだった。きのこドリアがめっちゃ好きでよく食べていたのを記憶している。当時高3だったこともあり、けっこう周りの人が甘やかしてくれたので、若いというアドバンテージは強いなと思う。自分はもう30を超えたので若さを今では羨む側になってしまった。飲食店はブラックが多いと昨今は言われているが

アルバイトの立場ではそうは感じなかった。楽しかった思い出のほうが大きかったので社会人で飲食店に就職するという選択をしたのかもしれない。上京1か月前にデニーズでのアルバイトは終えた。終えるときに店長に社員にならないかと誘われた。もう専門学校に行くことが決定していたので、お断りしたが進路に悩んでいたら多分ここで正社員になっていたと思う。アルバイト代をつぎ込み車で10分ほどのところにある家電量販店でデスクトップ型パソコンを購入した。自分のパソコンを手に入れることが出来ただけだが、なぜだか無敵になったような錯覚をした。パソコンで何ができるのかもよくわかっていなかった。プログラムという難しいことが出来るというのを知っていたくらいだ。近くの書店でパソコン関係の本を物色したら18禁が多くて驚いたが、そこは思春期の学生だったもので興味のまま買ってしまっていた。本の内容は察して頂きたい。ともあれこれで上京の準備ができた。

そして卒業式が終わってから一週間後、親に見送られ上京した。

 

上京―6畳間に5人で住んでいたころ

上京して自分が配属になった新聞配達所にむかった。場所は大田区の千鳥町。専門学校まで30分で行ける距離だ。部屋が狭いので荷物は段ボール4つ分くらいにまとめて事前に送っておいたので、持っていく手荷物は貴重品くらいだった。お店についたら住むところに案内してもらった。お店から徒歩で6~7分くらいのところにあるアパートだった。そのままこのアパートに住むわけではなく、今働いている先輩の奨学生から仕事を引き継いだあとはその先輩が使っている部屋を自分が譲りうけ、その部屋に移って住むことになるとのことだった。アパートの扉を開けたら人口密度がすごかった。すでに人が住んでいたこともさることながら、布団の量、ごみの量がすごい。布団は4人分敷いてあってさらに自分の分を敷くので5人ここで共同生活をするらしい。実家で過ごしていたときも家族7人近くで寝ていたのであまり抵抗はなかった。が今思うとヤバイ環境だったのだかと実感する。今もこの先輩の部屋引き継ぎシステムが続いているのだろうか、気になるところではある。

5人での生活はすぐに終わった、先に上京して奨学生の先輩から仕事を教わっていた1人が先輩の部屋を引き継いだので出て行った為だ。その後も一人また一人仕事を覚えた人から部屋を後にしていった。部屋が広くなるのはうれしいが、寂しい。最終的に最後に来た私が部屋に1人残される形になるわけだが、それはもうちょっと後のお話。

 

順路を覚えろ空回り編

仕事を覚えるのはそれはもう大変だった。私が配属されたお店の奨学生の仕事は3つ。①新聞を配る。②ポスティングチラシを配る。③新聞チラシの折り込み。①の新聞を配るはまず先輩奨学生に連れられ順路帳という配達する一軒家・集合住宅、ポストの書かれた台帳に順路記号を自分の手で書き込むことから始まる。順路記号は次の配達する家までの道を簡単に示した記号だ。「Aの家の次は向かいのBの家の黒いポストに新聞を入れる」というのがわかる記号を一つ一つ記載していく。私の配達区域は約300件だったので、その分だけ順路記号を書く必要があった。この作業だけでも5時間くらいかかった。順路記号を書き終えたら次は一人でその順路通りに配達区域を回る。途中で迷子になったら先輩に助けを求める電話をする。正直かけずらい、ので記憶を頼りに最大限次の家を探す。その様子をみていた警察官に職務質問を一回されたことがある。逆に警察官に道を尋ねたこともある。高校卒業し、上京して初めての町でなぜこんな大変な目に・・・と思った日もあった。

ひとりで何も問題なくスムーズに順路を回れるようになるまで、順路を把握する作業を繰り返す。ちなみにこの順路把握を“空回り”という。新聞の積まれていない空の自転車で回るからという理由での名称だ。

仕事を覚えるこの時期は空回りだけではなく、チラシの折り込み練習もある。新聞を取っているひとなら見たことがあると思うのだが、新聞にはチラシが挟まっている。あの挟まっているチラシは朝手で入れている。驚きましたか、ほんとなんです。まさかの手作業。手順としては早朝に新聞配達所に届いた新聞にチラシを入れるだけなのだが、新聞の数が多いというのと、一秒でも早く配達にいかないといけないため、チラシ入れもスピードが要求される。ゆっくりやっていたらお客様に届く新聞がその分遅れてしまうので、懸命にチラシを新聞に入れる、夏場は汗だくになる。

空回り、チラシ折り込み練習と並行して朝2時からの配達と夕方15時からの夕刊配達にも先輩のお供として付き添い、実務を経験する。

この3つを最初の一週間はみっちり行う。高校でサッカーをやっていたので、体力に自信はあったのだが、この時はとてもしんどかった。特にチラシの折り込み練習は朝の配達同伴、昼の空いた時間を使っての空回り、15時からの夕刊配達同伴後なので、とても疲れた状態で行う。疲れでスピードが上がらず練習の終わりが22時とかになったこともある。当然次の日も朝刊配達同伴があるので2時起きにも関わらずだ。ここらで辞める人もいるのだろうなと思う。。

 

独り立ち編

仕事を一通り覚えたら一緒に配達していた先輩が離れての一人配達が始まる。独り立ちしてから最初に思ったのが、自転車への新聞の積み方の難しさだった。先輩がいるときは先輩がフォローしてくれていたが、独り立ちするとすべて独りでやらなければならない。新聞は自転車の前カゴと後ろの荷台に積めるだけ積む。積みきれなかった分の新聞は、車で中継地点というところに運んでもらう。中継地点は配達区域の一定数ある新聞の補給ポイントだ。自転車の場合すべての新聞を一度に積むことはできないため配達100件おきに1つくらいの間隔で、新聞の補給ポイントがある、ここで新聞を補給して中盤、後半のポストに新聞を配達していく。中継地点は屋根のある広い場所であることが多い。例えばマンションだったりアパートだったりする。

独り立ちの際は自転車の停め方にも最新の注意を払う必要がある。新聞を積んだ自転車はよく倒れる。倒れると新聞があたり一帯に散乱する。もう悲劇としか言いようがない状態になる。倒れるのは慣れてきてもたまにやるが、独り立ちしたばかりのころの絶望感はすごかった。もう消えてしまいたいとほんとに思うし、配達をする気がめちゃくちゃ削がれる。

そして私の配達区域もなかなか癖があった。配達中盤が坂だらけだったのだ。自転車で坂はかなりきつい。新聞を積んだ自転車で登るのは逆立ちして坂を上るくらいきつかった。

 

ただでさえ新聞を積んだ自転車の重量はすごい。すごい以外の比喩が浮かばないほどすごいのだ。新聞は前カゴと後ろの荷台に積むためバランスはとりずらい。新聞奨学生の募集要項に「前後に重量のある自転車を運転するバランスを取る上半身の力」と、「重量のある自転車のタイヤを3時間くらいこぐ足腰」と明記した方がいいのではないかと思う。

 

ジュンナイトメア

独り立ちして慣れてきたころに訪れる悪夢のような月のことだ。世間一般では梅雨とよばれている。ジュンナイトメアというのは今名付けた。ジュンブライドは6月の花嫁だからなんとなく名付けただけで特に意味はない。

雨は新聞の天敵。いや新聞配達員の天敵といったほうが正しい気がする。雨の日は配達に手間がかかる。何故なら新聞1部1部にビニールを被せる必要があるためだ。マンションの集合ポストに入れる新聞はビニールをつけなくても大丈夫だが、一軒家のポストに入れる新聞は7割くらいビニールを被せる必要がある。ビニールを被せる機械に新聞を通せばいいのだが1部1秒かかるので仮に300部ビニールに入れたら300秒配達に行くまでの時間がロスになる。

ビニールを被せる時間のロス以外に、ビニール分新聞の厚さが増され、自転車に積める部数も減る。さらにビニールのちょっとでも穴が開いていたら新聞は濡れてしまい、濡れの深刻さによっては新聞はもう売り物にならない状態になってしまう。配達中に新聞が破けるかもしれないので、予備の新聞を1部もっていくのが私の配達所の基本だったが、雨の日は容赦なく新聞濡れてお亡くなりになる。1部じゃ足りないことはざらになる。そういうときは配達所まで戻る必要があるのだが、戻るというのは精神的にかなりダメージがある。配達はお店の近くから始まり遠くのほうへと進んでいく。なので雨にぬれた新聞を発見するのは大体お店から遠く離れた場所になることが多い。辛い。お店に帰ってからまた戻ってくるのだと思うと心がクシャっとなりそうになる。こういう時私は大体こう思って戻っている”しねよ”口悪いと思いますよね。けど心境的にはそれしかないんです。わかってくれとは言わないです。ともかくそれほど心がやられるんです。まさに悪夢。

 

他社配達員とのバトル

新聞を複数購読している人いますよね。私の配達区域の一部は裕福な一軒家が多いところでした。この家いいなー住んでいる人のお金を分けてほしいなー、もう配達したくなーいと思いながらポストに新聞を入れていました。そしてそういう家は複数新聞をとっている家も結構ありました。朝日、読売、日経の三紙購読っていう強者も中にはいました。三紙入るポストならいいです。入らないところは先に入れたもん勝ちです。私の配達している新聞は日経だったのですが、小さいポストで先に朝日、読売が入っていてポストに入らないってことがよくありました。そういう時はポストの裏に回れるところは裏から入れたり、玄関のドアノブにかけたり、玄関先などにビニールにいれて置いておいたりしました。手間かかります。まあそのくらいならいいです。問題というは他社の新聞の入れ方が雑、悪く言えばキタナいとき。新聞の半分しか入ってないときとか、新聞が斜めにポストに入れられていてポストの口が開かなくなってしまっていて、あとから来た他社の新聞配達員が新聞を入れることが出来ないとかは「あーもう!」て思います。いや嘘です「消えてしまえばいいのに」ってホントは思ってた。

 

女性奨学生とのお話

新聞奨学生はほとんどが男性です。女性の奨学生も居るにいました。私の店の女性の奨学生は主に朝ごはん、夜ご飯を作る担当でした。ご飯担当以外に配達もしていました。どういうことかというと、男性奨学生と2人1組で1つの区域を配達する形式です。男性の奨学生は週6で配達、女性の奨学生は男性の休みの日に配達をしていました。この区域は女性でも配達しやすいように配達部数が少なめに設定されており、男性の配達員はいつも他の男性配達員に申し訳なさそうにしてました。

この女性奨学生のひとりとちょっと距離が近くなり、部屋に泊まりに来たりしたのですよ。タイプではなかったので、特になにも起きませんでしたけど・・。しばらくしたら奨学生じゃなくて、配達所の社員と付き合ってると小耳にはさんだので、男ならだれでもよかったのかなと思ってます。

 

1年目冬

12月、冬になって配達も、学生生活も落ち着いてきたころに、リア充イベントのクリスマスがやってきました。新聞奨学生には全く無関係といってもいいイベントですね。イルミネーションの飾りとかをしっかりやる家のある地域を配達していたので、「リア充爆発してくださいお願いします」状態でポストに新聞投下してました。新聞を爆弾に見立ててるわけですね、自分の意志で爆発させることのできるリモート新聞爆弾だった気がしますし、そうじゃない気もします。悪気はないので許してください。ただの妄想です。

このころの楽しみは朝2時に起きてすぐ飲む、朝日のおしるこ缶でした。あったまってお腹も膨れるので私の冬の配達の必須飲料でした。クリスマス全く関係ないですね、この時期は精神的にかなりやられていました。厚めのウインドブレーカーを着て配達していたのですが、家族団らんしている家への配達は本当に羨ましかった。世界が違うと思ってました。絶対に夢をかなえたると思っていた気もします。

1年目年末・年始

私の配達していた日経新聞は、元旦に新聞の別刷り版があります。当時は1~7部ありました。1-7部の別刷り版+広告を元旦の新聞に折り込むため12月31日中に一つにまとめておく必要がありました。別刷りと広告の合わせたものだけで40ページくらいあって厚さは普通の新聞を超えています。これを元旦の新聞に折り込むのです。

新聞本誌+1~7部

新聞一部当たり150ページくらいです。折り曲げると軽く凶器になりますね。
厚さ重さは週刊少年ジャンプに匹敵します。

普段は100部くらい自転車に積めるのに、元旦特大号は25部くらいしか自転車に積めませんでした。

中継地点をこの日だけは増やしていた気がします。元旦でお客様はお休みなので、多少配達が遅くなっても大丈夫だったのが不幸中の幸いといったところでした。

 

 

奨学生仲間の話

先輩からの仕事の引継ぎが終わると、新聞販売所の2階に個室をもらえます。私の部屋は4畳でエアコン、机、カラーボックス1つ、あとは天井まで届くくらいの大きなベット(ベットの上と下で部屋が二層に分かれているような感じです。)あとは共有スペースのシャワールーム、キッチン、洗濯機、ベランダがありました。シェアハウスみたいなところでした。

住んでいる人は個性的な人が多く、今でも何人かは名前と顔を覚えています。せっかくなので何人か紹介したいと思います。

まず一人目I君同じ千葉出身、新聞奨学生の初回登録みたいなのも一緒にした同い年の戦友。典型的なO型って感じフレンドリーでいいやつです。続いてI葉さん、このI葉さんはなんか秒で100万稼ぐらしいですがなぜか新聞配達してる人でした。演劇やってる細マッチョKくん、タバコすってるイメージのつよいAさん、Aさんと仲良しFさん、部屋がめっちゃおしゃれだったITエリートMさん、TMに似てる奥さんがめっちゃ美人のKさん、音楽を愛してる北海道の誇るS隊長、頼れる兄さんIさん、おっとりどさんこSSKさん、いい人すぎるKWさん。同僚個性強すぎ、けど楽しかった。多摩川の河川敷で花火したりもしました。皆元気かな。会いたくなってきました。

 

新聞販売店の社員さんの話

新聞販売店には専業と呼ばれる社員さんたちがいます。社員さんは奨学生の休暇の日に代わりに新聞を配ってくれるので代配とも呼ばれていました。奨学生の私たちをフォローしてくれたり、話し相手になってくれたりしました。皆さんお世辞抜きに親しみやすく、いい人でした。ご飯に連れて行ってくれたり、一緒にフットサルに行ったりと遊ぶこともありました。一回めっちゃ怖い映画に連れていかれたときは嫌いになりかけましたけど笑 映画館で見るホラー映画はホント怖いです。ずっと目をつむっていてましたが、振動とか音だけで無理でした汗

 

平成18年豪雪

新聞奨学生2年目もとんでもない体験をしました。平成18年豪雪とよばれている大雪です。一面真っ白しかし配達は有る・・・。道路がスケートリンクのようにツルツルになり自転車がすべるすべる。雪がこれほどまでに憎いと思った時期は人生でありませんでした。まあ雨よりはずっとマシだったんですけどね。

 

豪雪が終わったら、もうあっというまに3月になったなというくらい一気に月日が過ぎていきました。最後の仕事は後輩への仕事の引き継ぎですね。2年前の自分を見ているようでとても懐かしくもあり、頑張れがんばれ、めっちゃきついだろうけど大変だろうけどめげないで欲しい。と思いつつ、厳しく教えていた気がします。後輩はもうきっと私の顔を思い出したくもないでしょう、一番きつかった時の記憶ですからね。その時のことを思い出したこの記事は私も書くのにかなり体力を持って逝かれました。

 

 

 

奨学生やっていた頃のどこかのタイミングで出会い系サイトに登録して8万詐欺られたのですがそれはまた別の機会にお話ししたいと思います。さわりだけ話すと、たぶんクリスマスかなんかで世間にリア充がたくさんいた時のことだった気がします。携帯でいろいろ探しててそこに・・・って感じですね。